九死に生活を得た人間の顔は

2016年10月1日

とある機会に死にかけて生還してきた者といった会う機会がありました。
あたし自体が以前に死にかけて生還してきた個人なので、死の淵から帰って来た人間の表情というものが感覚でそれとわかるようになりました。
死ぬかもしれない頃はこういう何とも苦悩がなんとかならないのかというのですが、その生還してきた者もそうでしたし、そういうことが乏しいということがどんなに果報かを噛み締めて日毎暮らしている。
いのち長らえたら、憑き物が取れたようにボディも魂も軽くなります。その人もそんな軽やかな表情を通していました。
せっかく助かったいのちだから生きていることにただ感謝して、日毎をとことん生きようというようにあたしはなりました。その人も口には出しませんが、とことん生きようという機嫌がトータルから放たれていました。
個人は生きているのではなく生かされているということをいう者がいる。確かにそういった状況がいのちにはあります。
九死に天命を得た個人は凡そ明るく軽やかな表情を通していて、個人が総出、誰かって誰かのお互いのお陰で皆で生きていて、そういった機嫌が死にかけて初めてわかったのかもしれないというくらいには、理解も発想も必ずしも素晴らしいわけでもないとも気が付きます。
そんな意味でいのちこそお宝だ。あたしもその人もそういうことを実感しているような表情になっていて明るく軽やかな表情をしているのであると思いました。せふれを作りたい人はこのサイト

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